父の日のお祝い
No.25 / 2008年6月1日配信
5月の第2日曜日「母の日」はカーネーションのイメージで、華やかに語られます。一方「父の日」は母の日ほど盛り上がらないように見えますが、それは男のヤッカミからでしょうか。「父の日」が始まったのはアメリカで、多くの子供を男手一つで育て上げた父親のために、ワシントン州の女性が感謝の礼拝をしてもらったことから始まるのだそうです。1909年6月の第3日曜日、今からおおよそ一世紀前の話です。
私も生前の母には、毎年母の日に「贈り物」をしていましたが、 そういえば父の日にモノを贈ったという記憶がそんなにありません。父親への感謝の気持ちがなかった訳ではないし、なぜだか不思議です。ただ、最近は一緒に食事をするようには心がけています。
一度だけですが、大きな真鯛一尾をぶら下げて父を訪問し、捌いて刺身にして父子水いらずで一杯やった経験があります。それはとてもいい時間でした。男同士は「モノ」より「心」だ。「心」が一番大切なのだと信じ続けた我が人生。今でも「ありがとう」は照れるので言えないけれど、私の心はわかってもらえているでしょう。
我が家に父の日が近づいてくると、私は娘に対して急に冗談が言えなくなります。どうしてでしょう? 欲しがっていることを覚られたくない男の気持ちと照れが、妙な生真面目さを生んでしまうのです。本当は35度の本格芋焼酎かめ壺熟成「半ぴどん」なんか、もらえたら最高なんだけどナ、などと軽口をたたきたいけどたたけない日々。「悶々とする」迄はいかないけれど、初恋の人に声を掛けられなかった不器用な少年時代と重ね合わせては、ついつい苦笑いをしてしまいます。