塩の小瓶

No.467 / 2020年9月1日配信

 大学の長い夏休みが終わり、後期の授業が始まりました。ずいぶん前の話です。その年は夏休みのほとんどをバイトに費やし、最後の1週間だけやっと休暇がとれました。海のクラゲと戯れるのはやめて、晩夏の陽光と潮風、そしてオリーブオイルを友達にして、砂浜の上で汗を流しました。おかげで、皮膚はめくれましたが、男らしい赤褐色の肌で登校できました。

 クラスで仲の良い北陸出身の友人が、「来週でも俺のアパートに来ないか?今週、田舎から米が送ってくるんだ。今年穫れた米だからうまいぞ」と私を誘ってくれたのです。私は必死で貯めたバイト代を全てオーディオ・コンポに注ぎ込み、今月も金欠状態から抜け出せそうもありません。なので、貧乏学生にはそういった「食べ物」の話は大歓迎。持つべきは友人です。

 関西弁のイントネーションが混じった友人の北陸弁と私の福岡の方言。私たちの会話を聞くと、おそらくは「ぼっかけ汁」に「柚子ごしょう」が絡み合ったような妙な味わいが感じられるかもしれません。楽しい違和感です。「Fくん、君が言うたように塩の小瓶を持ってきたばい」と折り畳み足のついた座卓に塩を置くと、彼はニヤリとして「それで十分よ」と言いました。

 彼は炊き立てのご飯を茶碗に盛ってくれると、まず、そのまま食べてみて、と言いました。その後、君の持ってきた塩をすこ?しかけてごらんよ、と薦めます。米って、こんなに甘かったんだ。本当にオカズ無しでも感動の味。本当のご飯の美味しさを知った20歳の記憶が蘇ります。伝承かめ壷造り・本格芋焼酎「幸蔵」の今夜の肴は「新米の思い出話」です。

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