動き出した列車

No.162 / 2012年3月21日配信

 親に無理を聞き入れてもらい、遠くの大学に進学出来ることになった春のことを思い出します。当時の我が家の経済状況を考慮したならば、誰だって経費負担の少ない地元の大学に進むべきだと判断するでしょう。しかし私は解き放たれる自由の誘惑に勝てず、親元を離れる決意を固めました。ただし、甘えるにも限度があると思い、生活費だけは自分で工面するようにしました。

 実家で過ごす3月も足早に過ぎて行きます。入学のための準備も大学の寮にお世話になることに決めていたので、準備は意外に簡単でした。故郷を出発する前日の夜、私の部屋には滅多に顔を出さない父親が現れました。おい、これを持って行けと言って、茶封筒を私に差し出しました。明日、見送りにはいけないからと言った後「自分に負けるなよ」と付け加えました。

 茶封筒を開けると一万円札が数枚入っていました。今と違って、一万円札の価値が凄かった時代の話です。恐らく母にも内緒でくれた小遣いなのでしょう。私はお金を封筒に戻して、バッグの底に慎重に仕舞いました。開花前の桜のつぼみを柔らかい雨が揺らす夜、父の精一杯の気持ちに私の胸は震えました。v

 夜行列車の窓越しに母と兄、高校時代の友達数名がホームの上で手を振っています。突然、昨夜の父の寂し気な表情が浮かびあがり、涙が溢れ始めます。そして涙でぼやけた視界は列車とともに動き始め、同時に私の新しい人生の旅も始まりました。伝承かめ壷造り・本格芋焼酎『幸蔵』と過ごす春の夜、時にはそんなちょっぴりセンチメンタルな想い出も顔を覗かせます。

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