豆ご飯
No.22 / 2008年5月1日配信
母の日が近づいてくると、豆(グリーンピース)ご飯を思い出します。ツヤツヤとしたご飯とともにふっくらと炊きあがった緑色の豆。少年時代の毎日の食卓が質素なものだっただけに、当時は新緑の季節の「豆ご飯」がとても素晴らしいご馳走に思えていたものです。母が「さや」を剥きながら、グリーンピースをお椀に取り出すのを私はじっと眺めていました。
「俺んちは昨日、すき焼きやった」とクラスの子が話しています。話によるとすき焼き用の鍋を使って、卓上で作りながら食べるのだそうです。今では当たり前の話ですが。牛肉が高級品だからなのか、その子は少し自慢げです。「僕も食べたことがある」と隣に座っている私の親友だった子もキッパリと言いました。私はそれを聞いて、寂しい思いが心の中に広がったのを憶えています。その頃、私は本格的なすき焼きなんか食べたことがなかったのです。我が家では牛肉がカレーに登場することさえもありませんでした。
母が早めに他界して、もう何度目の母の日でしょう。母の荷物を整理していた父が私にぽつりとつぶやきました。「お前が書き送った母の日の手紙を、何度も読み返していたよ」と。私が小さい頃、母はどこで感づいたのか、すき焼きが食べたいのを我慢していたことも知っていたそうです。そしてそれが辛かったと、も。本当は俺の責任だったんだけどな、これが、ほらお前が出した手紙と、父が手渡してくれました。「母さんに、旬の美味しさや大切さを教えてもらった気がする。感謝しなければいけないね。ありがとう」と見覚えのある若い文字が並んでいました。
切ない記憶が脳裏をよぎる夜、カップに注がれた伝承かめ壷造り・本格芋焼酎「幸蔵」を静かに飲み干し、妻にご飯を頼みました。ほんわりと香りたつ暖かい「豆ご飯」が微笑み、母が教えてくれたとても豊かな時間が姿を現します。