イワナの夏

No.316 / 2016年7月1日配信

 人生の大先輩である湯川豊という釣り人が書いた本が「イワナの夏」。その著者のことなどあまり詳しくは知らなかったものの、タイトルが気に入って、十数年前に買っていた本です。フライフィッシィングやルアー釣りをやらない私ですが、暑くなってくる季節を前に久しぶりに開いてみました。既読本なのに、初読のようにワクワクして読めました。

 10年前くらいはどこに竿を出しても爆釣だった。5年ほど前は、いいときにはしっかり釣れたし、去年だってまあ、5?6枚は上がったよね。と、私たちが海釣りでも用意している「昔は良かった」的な話が冒頭に出てきます。彼は釣れなくなった理由を、イワナは私たちの記憶の過去に逃げ込んでしまうのだと、エッセイストの上手な語り口で結論付けています。

 狙いをつけた夕まずめ、茜色の空を映す水面。かげろうがツーっと横切るだけ。何もかもがほとんど動かない静寂の中で始まる、イワナとの出会いとそれに続く爆釣の時間。静かすぎる甘美な予兆の中に、突如現れるガツンとしたあたり。心の平静は破られ、一気に悦びが爆発します。ヘボ釣り師の私にもわかります、その感覚。

 「イワナの夏」は文庫本の第1章に収められている30ページ足らずのタイトルエッセイです。読後の私は何かを確実に動かされたことに気づきます。停滞する感情が揺り起こされたようです。釣りから帰った夜の、伝承かめ壷造り・本格芋焼酎「幸蔵」で祝った「新鮮な一尾」が想い出されます。久しぶりに、昔の釣り仲間に電話しようとiphoneに手を伸ばしてみました。

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